不安定になったとき。

自分で決めたこと。

 

初めて親に逆らった。

初めて親が怒ってるのを無視した。

 

自分が幸せであることが一番大切。

 

幸せとは何なんだろう。

 

 

幸せって、

 

 

ゆっくり育てたら何が見えるの?

 

 

何が待ってるの?

 

 

人間はまだ来ない、未来を思い描いては不安と心配になる。

 

 

なぜ、

 

 

未来はもっと明るくて希望に満ちてて喜びと愛で溢れてるかもしれないのに。

 

 

大丈夫。

 

あなたの中にいるあなたが大丈夫だと感じるなら大丈夫。

 

幸せだと思うなら大丈夫。

 

 

いま、幸せですか?

 

幸せを感じ取って。

 

小さな小さな幸せかもしれないけど、

あー今日も幸せだと感じてみよう。

 

 

あなたが幸せであることが一番大事。

 

 

今日の幸せは何だろう。

 

 

あたたかいシャワーを浴びて、

ご飯を食べて、

大好きな猫と一緒にテレビを見て、

 

眠る。

 

 

それだけでもう幸せじゃないか。

 

 

大丈夫。

 

安心安全の世界にいて、

 

あなたはあなたの境界線を守って。

 

 

これは相手のもの、コト、

これは親のもの、コト、

 

 

自分を幸せにできるのはまずあなた自身であることを忘れないで。

 

 

 

 

75歳の彼氏の話。

 

わたしには75歳の彼氏がいる。

彼氏というとじゃあ付き合ってるのかと野暮なことを言う人がいるが、ここでいう彼氏というのはそういうもんではない。

 

心が通い合ってるのである。

 

 

突っ込みどころ満載ではあると思うが、

人それぞれその定義があるのだと思って聞き流して欲しい。

 

 

彼氏の話は毎回面白い。

 

彼は染色の道を歩み、今いわゆる職人というものをやっている。

京都の工房で幼い時に見た「虹」からインスピレーションを受けて、色をふんだんに使ったオリジナルのスカーフやショールを作ってるのである。

 

彼の色へのこだわりや、学びはすごい。

色にはそれぞれ波動がある。

自分の見ている世界はその波動によって彩られているのだと知る。

 

色を辞書で引くと、英語でいう「colour」に対する意味合いの他に、日本語では恋・欲望のような意味合いもでてくる。

 

色は見る場所、見る人、見る明るさによって様々に変化する。

 

恋を色とする日本人の感覚に日本人の感受性の高さを改めて感じた。

 

 

また、彼はいろんな事を教えてくれる。

 

 

芸術を極めるのがアーティスト

商品を極めるのがアルチザンだと。

 

 

それが芸術家と職人の違いである。

 

 

職人がつくるものは売れなければ意味がない。

そこに買い手の思いや、心理を考え究極の芸術品に近しい商品をつくるのが職人である。

 

 

その職人がいうには、人生には壁が必ず訪れるという。そりゃよく聞く話だと思うが、

 

彼曰く、水泳のターンと一緒で、

壁がなければ人はターンをしてそこから伸びていくことはできないのだと。

だから壁は必要であり、うまくターンができなかったとしてもその事を楽しむことが大切だという。

 

人生は一度きりしかない。

人間の寿命は決められていない。

 

たかだか10代、20代だとしてもコロッと明日死ぬかもしれないのだ。

 

であるならば、今という一瞬一瞬をありのままに受け止め、楽しむべきだと、前立腺癌ステージ4から立ち上がった彼はいうのである。

 

 

なんとも面白い爺さんだ笑

 

 

時間泥棒に時間を盗まれている場合ではない。

 

 

今を精一杯、楽しまなくちゃ!!!!

 

 

明日のことはわからない、

わからないことを悩み、苦しむぐらいなら、

今を楽しみ大好きな人の愛情をたくさん感じながら幸せだと笑ってれば、自ずとすてきな未来がやってくるのではないだろうか。

 

 

今日の出会いと気づきに感謝して寝たいと思う。

 

私の周りは愛で溢れている。

 

 

世界は案外優しいと知る

ブログって何書いたらいいのか?

日記みたいに使うのは良くないのかもしれないが、とりあえず思ったことを綴っていこうとおもう。

 

ブログタイトルは自分が大好きなある曲からとったのでわかる人にはきっとわかる。

ファンの方がいたら何勝手に使ってんだよって思うかもしれないので先に謝っておきたい。

ごめんなさい。笑

 

 

ただ、自分たちが唯一無二の生命体であるって感覚ってすごく大事だと感じていて、

唯一無二であるからこそ、他者と自分の捉え方・感じ方・考え方は異なって当たり前。

それがいわゆる「価値観」てやつになるのかもしれないが。

 

わたしには偉大なるおばがいるのだが、おばの話はいつも面白く、わたしの視野を広げてくれる。おばの話から引用するのも何なのだが、ここに書くことで何かの役にたつかもしれないので綴らせてもらう。

 

おばは救急車を見ると「早く着いて、助かって欲しい!」と心から願うらしい。

だが、わたしはどうだろうか。

まわりの人はどうだろうか。

 

「サイレンうるさいなぁ」「道を譲るなんて邪魔だなぁ」「事故?事件?なになに?ワクワク」なのか…色々思うことがあると思う。

 

なぜおばがそう思うのか聞くと、おばは以前から救急車に乗り込む機会や親族が運ばれる場面を何度も見ているから、その緊迫感や焦燥感を思い描いて「早く着いてくれ!」と思うらしい。

 

同じ物体を見ていてもその人の「経験」で、物事の捉え方は大きく異なるのだ。

 

人間は「経験」の中で生きている。

 

自分を否定された経験、恥をかいた経験、褒められた経験、感謝された経験。

 

経験が重なってその人のパーソナリティを強固にしているのかもしれない。

それ故に経験を積むというのは時として感情に蓋をすることになりかねないとも思う。

 

年を取ると頑固で意地っ張りな人間が出来上がるのはそういう事なのかもしれない。

 

かく言う私も完全に意地っ張りで素直に言葉を表現できない部類だ。

 

 

感じた事を感じたままに、

素直に、暴力的ではない言葉で、

愛に溢れた言葉で伝えるのは本当に難しい。

 

 

でも、人が自分の想いに素直になれたとき、

自分を自分で許す事ができ、

愛する事ができたとき、

 

世界は喜びと安心安全と笑いに満ち溢れたものになるのかもしない。

愛は相手を許す事であると同時に、自分を許す事だと感じる。

 

まだまだ許せず、手放せず、悩み、苦しみ、

自分の中の自分を殺してしまうけれど、

 

少しずつ、少しずつ、分かり始めてる気がする。

 

この世界は思ったより優しいのだ。