世界は案外優しいと知る
ブログって何書いたらいいのか?
日記みたいに使うのは良くないのかもしれないが、とりあえず思ったことを綴っていこうとおもう。
ブログタイトルは自分が大好きなある曲からとったのでわかる人にはきっとわかる。
ファンの方がいたら何勝手に使ってんだよって思うかもしれないので先に謝っておきたい。
ごめんなさい。笑
ただ、自分たちが唯一無二の生命体であるって感覚ってすごく大事だと感じていて、
唯一無二であるからこそ、他者と自分の捉え方・感じ方・考え方は異なって当たり前。
それがいわゆる「価値観」てやつになるのかもしれないが。
わたしには偉大なるおばがいるのだが、おばの話はいつも面白く、わたしの視野を広げてくれる。おばの話から引用するのも何なのだが、ここに書くことで何かの役にたつかもしれないので綴らせてもらう。
おばは救急車を見ると「早く着いて、助かって欲しい!」と心から願うらしい。
だが、わたしはどうだろうか。
まわりの人はどうだろうか。
「サイレンうるさいなぁ」「道を譲るなんて邪魔だなぁ」「事故?事件?なになに?ワクワク」なのか…色々思うことがあると思う。
なぜおばがそう思うのか聞くと、おばは以前から救急車に乗り込む機会や親族が運ばれる場面を何度も見ているから、その緊迫感や焦燥感を思い描いて「早く着いてくれ!」と思うらしい。
同じ物体を見ていてもその人の「経験」で、物事の捉え方は大きく異なるのだ。
人間は「経験」の中で生きている。
自分を否定された経験、恥をかいた経験、褒められた経験、感謝された経験。
経験が重なってその人のパーソナリティを強固にしているのかもしれない。
それ故に経験を積むというのは時として感情に蓋をすることになりかねないとも思う。
年を取ると頑固で意地っ張りな人間が出来上がるのはそういう事なのかもしれない。
かく言う私も完全に意地っ張りで素直に言葉を表現できない部類だ。
感じた事を感じたままに、
素直に、暴力的ではない言葉で、
愛に溢れた言葉で伝えるのは本当に難しい。
でも、人が自分の想いに素直になれたとき、
自分を自分で許す事ができ、
愛する事ができたとき、
世界は喜びと安心安全と笑いに満ち溢れたものになるのかもしない。
愛は相手を許す事であると同時に、自分を許す事だと感じる。
まだまだ許せず、手放せず、悩み、苦しみ、
自分の中の自分を殺してしまうけれど、
少しずつ、少しずつ、分かり始めてる気がする。
この世界は思ったより優しいのだ。